戦力外通告が、経営者としての僕を育てた

株式会社SOU

代表取締役社長 / 嵜本晋輔

ブランド買取専門店『なんぼや』やブランド査定・資産管理アプリ「miney」などを手がける株式会社SOU。代表は、元ガンバ大阪のJリーガーという異色の経歴を持つ嵜本晋輔氏だ。戦力外通告というどん底から人生を学び、リユース業界に新たな風を吹き込んだ若き経営者の想いを尋ねた。

PROFILE

代表プロフィール

1982年大阪生まれ。関西大学第一高校卒業後、関西大学入学と同時にJリーグチーム「ガンバ大阪」へ入団。21歳の時に戦力外通告を受け22歳で引退後、家業のリサイクルショップを手伝う。2011年に独立して株式会社SOUを設立、代表取締役社長に就任。ブランド買取専門店「なんぼや」、予約もできる買取専門店「BRAND CONCIER」、BtoBオークション事業「STAR BUYERS AUCTION」、BtoC販売事業「ヴィンテージセレクトショップ ALLU(アリュー)」、「ブランドリセールショーZIPANG」、資産管理アプリ「miney」などを展開している。東京証券取引所 2018年3月、マザーズ市場へ株式上場した。

目次
  • 1. どん底の経験を人生の糧にする
  • 2. リサイクルショップのイメージを刷新
  • 3. お客さまの想いを査定する
  • 4. パーソナルウェルスマネージメントへの挑戦
  • 5. 「SOUきたか!」と驚かせる新たな展開を
  • 6. Leaders ITEM

どん底の経験を人生の糧にする

-サッカー選手としての経歴を教えていただけますか。

 

小学校4年生のときからサッカーを始めて、2001年に関西大学への進学と同時にJ1リーグのガンバ大阪にミッドフィルダーとして入団しました。でも、1年目こそ試合に出る機会もありましたが、結果を残すことが出来ない日々が続きました。2年目には監督も代わり、構想から外れてしまったようで、ベンチ入りも出来ず、来季はもう戦力として考えていないから他のチームを探してくれと通告されました。2004年からはJFL(日本フットボールリーグ)の佐川急便SCに所属しましたが、1年で退団し引退しました。

 

-引退する決断までに悩みましたか。

 

佐川急便SC時代は午前中に倉庫で荷物の仕分けをして、午後から土のグラウンドでサッカーという生活でした。試合に出られなくてもお金が振り込まれていたガンバ大阪時代とは違い、お金を稼ぐことの難しさ、大変さを痛感しました。自分が思い描いていたサッカー選手の暮らしとはかけ離れていて、〝このまま続けていていいのか?〟と自問自答する日々でした。これからまたJ1に復帰できるのか、日本代表に選ばれる可能性が僅かでもあるのかと考えたとき、おそらく通用しないだろうと悟ったんです。それならば、自分の負けを素直に認めて、新たなステージで勝負しようと決断しました。

 

-プロサッカー選手として一番欠けていたものは何でしょうか。

 

プロ意識が低かったのだと思います。練習に臨む姿勢、食生活を含めて自分のパフォーマンスを高めるための努力が足りなかったし、自己分析や情報収集をする時間を十分に作っていたとは言えません。今思えば、戦力外通告を受けて当然の選手でした。クビを通告された瞬間は人を恨みもしましたが、結局は自分自身の問題。挫折を味わったときに自分のせいにするのか、人を責めるのか。考え方一つで人生も大きく変わってきますよね。

 

-サッカーを通して、一番学びが多かったエピソードはなんでしょう。

 

やはり、戦力外通告を受けたことです。結果を残せなければ、不必要だと正面切って宣告されるのって、限られた人間にしか経験できません。セカンドキャリアとして新たなビジネスに挑戦すると決断したときに、同じ過ちを繰り返さないためにも、後悔しない今を生きると誓いました。戦力外通告というターニングポイントが無ければ、会社を上場させることもなく、そこそこの売り上げで満足してしまう経営者になっていたかも知れません。

 

精神的に強くなれたのはもちろん、組織の在り方も学びました。サッカーはチームスポーツなので、各ポジションに適材適所で選手を起用していく必要があります。対戦相手や状況によってフォーメーションも変えなければなりません。ビジネスにおいても、事業ごとに最高のチームを編成して、一人ひとりがより高いパフォーマンスを発揮できる環境を整えるのが経営者の役割です。サッカーの監督と共通している部分が多いのではないでしょうか。

リサイクルショップのイメージを刷新

なんぼや札幌大通り店

-ブランド買取というビジネスに挑んだのは何故ですか。

 

父親が経営するリサイクルショップを2人の兄が手伝っていたので、私もこのビジネスには興味を持っていました。当時は主に電化製品や家具などを扱っていましたが、大きくて単価の安い商品をリサイクルする市場は今後の成長が見込めないと判断し、ブランド品や貴金属を扱うビジネスに舵を切りました。

 

もともと2004年に三兄弟で会社を立ち上げており、その中で2007年に大阪の難波にブランド買取専門店『なんぼや 難波本店』をオープンさせました。我々の事業におけるターニングポイントになった挑戦ですね。「なんぼや」という表現に関東の方は馴染みが無いかもしれませんが、関西では定価があっても値段交渉するのが当たり前なので、値切るのはコミュケーションのひとつと考えられています。僕らが一方的に値段を決めて「買うの、買わないの?」とお客さまに迫るのではなく、納得のいくまで価格交渉=コミュニケーションをとるという思いを込めて店名にしました。

 

-創業当初からビジネスは順調だったのでしょうか。

 

当初はブランド品の扱いも少なかったので年間数千万円規模の売り上げでした。幸い1年目で億に到達し、2年目で2桁に乗せましたね。でも、このビジネスは買取のための現金が常に必要なので、キャッシュフローには苦労しました。商品を買ってすぐに質屋に行って現金に変えて、次のお客さまの商品を買うことが何度もありました。漫画みたいな毎日でしたし、預金も全てつぎ込みました。

 

-ビジネスが軌道に乗り出したのはいつ頃からでしようか。

 

ここ3〜4年でしょうか。それまでは営業と経理しかいない組織でしたが、上場するための組織作りを考えて、少しずつ体制を整えていきました。その結果、管理部門のプロが集まってくれて、戦える組織になったと思います。サッカーのチーム作りと同じですよね。

-2017年11月に本社を大阪から東京(品川シーズンテラス)に移転されました。

 

2009年から2年ほどは大阪と東京を行き来していましたが、やはり東京の方が優秀な人材が集まりやすいし、魅力的な商材も豊富に揃っているので、より厳しい環境で勝負して自分と会社を成長させたいと考えたからです。また、創業したときからいつかはクリエイティブで洗練された雰囲気、なおかつ1フロアで社員全員の顔が見える環境で働きたいと願っていたので、実現させたかったのです。東京オフィスは、ワンフロアで1500坪あります。ここには、バックオフィスや古物市場の「スターバイヤーズオークション」の会場、研修、カフェスペースもあり、みんなで料理を作ることもできます。

お客さまの想いを査定する

-競合他社に比べて御社の強みは何でしょうか。

 

創業した当時、ブランド品を現金化するには質屋に行くくらいしか方法がありませんでした。私も勉強のために通いましたが、質屋はまったくお客さまの立場に立っていないということを痛感しました。店の雰囲気も暗くて、お客さまは不安になるだろうし、鑑定士が上から目線で接客しているんですね。これでは安心、納得して大切な品を手放せないだろうと思いました。

 

そこで『なんぼや』はネイルサロンや美容室のような雰囲気の店内にし、ドリンクサービスやアロマを焚いたりするなど、お客様さまがリラックスできる環境作りを心がけました。鑑定士をコンシェルジュと呼び、プライバシーに配慮した個室も設けました。お客さまに寄り添った雰囲気作りをし、サービスを提供すれば、間違いなく勝てると思っていました。

 

また、コンシェルジュが一方的に値段を決めるのではなく、お客さまとの対話の中から値段を決めていく姿勢を重視しました。買取価格にはもちろん相場がありますが、値段よりも対面しているコンシェルジュに自分の思い出の品を託したいと考えている方も多い。だからこそ、我々が重視するのはコミュニケーション。他社より買取価格が安くても、「お兄ちゃんの接客が気持ちよかったから売るわ』と言われた経験が何度もありました。

なんぼや梅田OPA店

-お客さまに信頼される店作り、社員教育をするために注意していることは何でしょうか。

 

社員教育に特化した人材開発課を設け、未経験者でもあっても1ヶ月かけて最低限の鑑定眼、接客マナーを習得させています。もちろん1ヶ月で十分とは言えないので、実際に現場でお客さまに成長させていただいています。

 

そしてコンシェルジュには、商品に対するお客さまの想いをしっかりと見抜くよう、対話を大切にするよう指導しています。同じ商品であっても、それを手放す想いはお客さま一人ひとり全く違うはず。だからこそ、買取価格だけで他社と競うのでは無く、納得していただけるまで接客した上で買取をしています。僕自身、リサーチを兼ねて他店に行くこともありますが、鑑定士はモノとしか対話していないことが多いですね。

 

-『なんぼや』を買取専門店にした狙いは何でしょうか。

 

買取と販売を行う店舗はどうしても、商品を買っていただくお客さまにも来店いただくためにビルの1階に出店しなければいけないし、2倍のスペースが必要になるので家賃が高くなってしまいます。

 

我々は買取専門であるのでその必要は無く、インターネットを通じて自社のアピールを続けていたので、ビルの上層階の限られたスペースで実店舗を構えても、確実にお客さまが訪ねてくださり、単価の高い商品を提供してくださいます。また、在庫を抱える必要がなくなり人件費、固定費を抑えられるので、そのお金を新たな出店のために使うことができ、規模を拡大して行けるのです。

 

-お客さまから仕入れた商品をオークションにて業者向けに販売する「CtoBtoB」のビジネスモデルを展開したのは何故でしょうか。

 

どんなに高いブランド品でも、買ったその日から価値は目減りしていきます。それなら動きの遅い消費者に販売するよりも、同業他社に販売したほうがすぐに換金できる。BtoBで短期間にて利益確定売りをして、そこで得たキャッシュを新な事業に投資する方が効率的だと判断したからです。品川の本社オフィスで2018年8月期は毎月4回オークションを開催し、約15億円/月ほど売り上げています。

パーソナルウェルスマネージメントへの挑戦

-今年からスタートさせたminey(マイニー)とはどのようなアプリなのでしょうか。

 

商品写真を登録するだけで現在価値が分かる他、過去から現在までの価格推移や、複数の登録商品の現在価値の総額を「総資産額」として確認することができるアプリです。商品の売り時もお知らせします。

 

ブランド品のリユース率は20%程度と言われています。つまり使われなくなったブランド品の約80%のはクローゼットや引き出しの中で眠ったままなのです。ブランド各社はシーズンごとに商品を出しますから、現行品の価値はどんどん下がって行きます。クローゼットという預金口座があるとしたら、預金額は日々目減りしていっているのです。

 

自分の資産が減っていっているという事実を多くの人に分かってもらうためには、「見える化」が重要だと考え資産管理を目的としたアプリとしてmineyを立ち上げました。リリースしてまだ1年で改善の余地も多いアプリですが、30億円ほどの資産を登録していただいています。これからは自動車や不動産の登録もし、パーソナルウェルスマネージメントのためのアプリとして市場の拡大を目指したいと思います。

「SOUきたか!」と驚かせる新たな展開を

-ガンバ大阪のスポンサーになりました。

 

チームをクビになった選手がスポンサーになるってあり得ないですよね(笑)。でも戦力外通告を受けたからこそ今の僕があるので、ガンバには感謝をしているんです。恩返しですね。また、今プレーしている選手たちに、サッカーで成功しなくても、次のステップがあるというメッセージを伝えたいのです。自分の経験を活かして、プロサッカー選手のセカンドキャリアを支援できる事業を展開したいという夢もあります。

 

-これからのビジネス展開は?

 

今、ラグジュアリーブランドを扱う会社としてはコメ兵さんに続く2位。まず、トップを目指したい。そして我々のノウハウを生かしてアジア、世界でもナンバーワンのリユース企業にならなければいけないと思っています。我が社のような戦略でリユース業を行なっている企業は世界的にも他に類がないので、その強みは活かしていけると思っています。

 

そして近い将来、リユースにとらわれない新しい事業にも挑戦していきたいと想っています。消費者や株主の方に「そうきたか!」と言っていただけるようなビジネスを、社員一丸となって生み出していける会社でありたいと考えています。

Leaders ITEM

多くの大切なことを教えてくれたガンバ大阪時代のユニフォーム。今も大切に保管されている。上場時には着用し、東京証券取引所で鐘を鳴らした。

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BUSINESS

事業内容

ブランド品・貴金属・骨董品等の買取及び販売

COMPANY

会社情報

代表者:嵜本 晋輔

東京オフィス:東京都港区港南1-2-70 品川シーズンテラス

WEB:https://www.ai-sou.co.jp

資本金:9億3,806万2,613円(2018年5月末現在)

従業員数 連結:425名 / 単体:346名(2018年5月末現在)

売上高 連結:226億円 / 単体:218億円(2017年8月期)

グループ会社:株式会社古美術八光堂

       STAR BUYERS LIMITED

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