
ロボットがより人間らしい仕事のあり方を教えてくれる。
RPAホールディングス株式会社
代表取締役 / 高橋 知道
働き方改革に取り組む企業が増える中、ロボットにホワイトカラーの業務を代行させるRPA(Robotic Process Automation)が注目されている。この概念が提唱される以前から取り組み、リーディングカンパニーとなったRPAホールディングスの高橋知道代表取締役に、起業までの経緯と今後の展開、そして新しい時代の仕事の意義について話を伺った。
PROFILE
代表プロフィール
1970年 広島県福山市生まれ。一橋大学経済学部卒業後、アンダーセン・コンサルティング(現・アクセンチュア)に入社。ソフトバンク、スカイパーフェクトTV!を経て、2000年4月に新規事業プロデュースを手掛けるオープンアソシエイツを設立。2017年、RPAホールディングスに商号変更する。趣味はゴルフ、読書、子供達と遊ぶこと。
お金を貰って仕事をするのではなく、仕事をして貰ったお金を適切に配分する。
就活したのはバブル絶頂期。同級生の殆どが大企業を目指し、生涯賃金の話で盛り上がっている一方で、私は同級生との会話に非常に大きな価値観のギャップを感じていました。というのも、私の父親は印刷業を営んでおり、親戚の多くも中小企業を自ら経営していたので、彼らが事業の話をする中で、どれだけの挑戦をして事業を拡大させたか、その結果を給与やボーナスのかたちで従業員といかに分かち合ったかを本当に楽しそうに話す姿を幼少のころから見て
育ちました。
そのせいか、いわゆる大企業に勤めるイメージを持つのは難しかったのだと思います。当時は企業といえば大企業か中小企業しかなく、ベンチャーという言葉すら存在しなかった時代です。現在のようにデジタル情報革命の大衆化の恩恵もなく、あらゆる事務作業は人で処理する必要があったため、事務所を借りて経理や総務、営業の人員を確保するだけで非常にお金がかかります。たとえ起業したとしても大企業との経営資源の差は歴然で、若造が気軽に会社を立ち上げられるような環境ではなかったと言えるでしょう。
最初に入社した会社は、アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)です。コンピューターを世界で初めてビジネスに導入する経営コンサルティングを始めた企業です。当時、外資系企業で働いていたのは、アウトローというか癖のある人間が多く、アンダーセンコンサルティングの面接でお会いした30歳前後の若手マネージャーの、“白いダブルのスーツに口髭”という風貌にも驚いたのですが、何より「会社の魅力は、自分がやりたい放題やれる事」という一言に強烈な魅力を感じ、パソコンすら触ったことがなく(1980年代のパソコンは非常に高価で、一般の大学生が所有するものではなかった)事業内容も理解しないまま入社を決意しました。
入社するとCBT(Computer Based Testing)を中心とした研修の後、システム開発プロジェクトにもアサインされプログラミングを徹底的にやりました。デジタル情報革命の黎明期にコンピューターを活用したビジネスに携われたのは振り返ると非常に幸運な経験で、アンダーセンコンサルティングの3年間でデジタル情報革命の可能性を肌で感じることができました。
さらに金融関係のプロジェクトが多かったことからコンピューターに加えて財務会計や資本市場の知識も寝る間も惜しんで習得しました。また、知らない業界、知らない分野においても期限内にクライアントにアウトプットする必要があったため、キャッチアップとアウトプットを出すスピードはとにかく鍛えられました。アンダーセン卒業後に新規事業の専門家としてのキャリアを歩む上で大きな財産になったと思います。
1995年に、マサチューセッツ工科大学メディアラボの初代所長を務めたニコラス・ネグロポンテ氏が書いたベストセラー『ビーイング・デジタル—ビットの時代』を読み、来たるべきデジタル情報革命について、全身に電流が走るほどの感銘を受けました。
当時、店頭公開したばかりで、パソコン雑誌とソフトウェア流通のみを手掛ける売り上げ1,000億円に満たないソフトバンクという会社(現ソフトバンクグループ)が、メディア王のルパート・マードック氏と共同でデジタル多チャンネルブロードバンド放送事業(現スカパーJSAT)を立ち上げるという話を耳にしたので、ネグロホンデ教授の本に感化されていた私は、直ぐに履歴書を書いて送り、運良くスタートアップメンバーとして採用されました。
26歳の若造にとって、新規事業の最大の魅力は、経験者が誰もいない=全員が素人という点です。若造も部長も放送業界の人も、スタートラインはある意味同じです。前職で培ったキャッチアップスピードを活かせば、あっという間に「デジタル多チャンネルブロードバンド有料放送事業」の専門家になれるのです。新規事業=挑戦する若者にとっての最大のチャンスである。この価値観はこの時に身にもって刻み込まれたものです。
育ちました。
そのせいか、いわゆる大企業に勤めるイメージを持つのは難しかったのだと思います。当時は企業といえば大企業か中小企業しかなく、ベンチャーという言葉すら存在しなかった時代です。現在のようにデジタル情報革命の大衆化の恩恵もなく、あらゆる事務作業は人で処理する必要があったため、事務所を借りて経理や総務、営業の人員を確保するだけで非常にお金がかかります。たとえ起業したとしても大企業との経営資源の差は歴然で、若造が気軽に会社を立ち上げられるような環境ではなかったと言えるでしょう。
最初に入社した会社は、アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)です。コンピューターを世界で初めてビジネスに導入する経営コンサルティングを始めた企業です。当時、外資系企業で働いていたのは、アウトローというか癖のある人間が多く、アンダーセンコンサルティングの面接でお会いした30歳前後の若手マネージャーの、“白いダブルのスーツに口髭”という風貌にも驚いたのですが、何より「会社の魅力は、自分がやりたい放題やれる事」という一言に強烈な魅力を感じ、パソコンすら触ったことがなく(1980年代のパソコンは非常に高価で、一般の大学生が所有するものではなかった)事業内容も理解しないまま入社を決意しました。
入社するとCBT(Computer Based Testing)を中心とした研修の後、システム開発プロジェクトにもアサインされプログラミングを徹底的にやりました。デジタル情報革命の黎明期にコンピューターを活用したビジネスに携われたのは振り返ると非常に幸運な経験で、アンダーセンコンサルティングの3年間でデジタル情報革命の可能性を肌で感じることができました。
さらに金融関係のプロジェクトが多かったことからコンピューターに加えて財務会計や資本市場の知識も寝る間も惜しんで習得しました。また、知らない業界、知らない分野においても期限内にクライアントにアウトプットする必要があったため、キャッチアップとアウトプットを出すスピードはとにかく鍛えられました。アンダーセン卒業後に新規事業の専門家としてのキャリアを歩む上で大きな財産になったと思います。
1995年に、マサチューセッツ工科大学メディアラボの初代所長を務めたニコラス・ネグロポンテ氏が書いたベストセラー『ビーイング・デジタル—ビットの時代』を読み、来たるべきデジタル情報革命について、全身に電流が走るほどの感銘を受けました。
当時、店頭公開したばかりで、パソコン雑誌とソフトウェア流通のみを手掛ける売り上げ1,000億円に満たないソフトバンクという会社(現ソフトバンクグループ)が、メディア王のルパート・マードック氏と共同でデジタル多チャンネルブロードバンド放送事業(現スカパーJSAT)を立ち上げるという話を耳にしたので、ネグロホンデ教授の本に感化されていた私は、直ぐに履歴書を書いて送り、運良くスタートアップメンバーとして採用されました。
26歳の若造にとって、新規事業の最大の魅力は、経験者が誰もいない=全員が素人という点です。若造も部長も放送業界の人も、スタートラインはある意味同じです。前職で培ったキャッチアップスピードを活かせば、あっという間に「デジタル多チャンネルブロードバンド有料放送事業」の専門家になれるのです。新規事業=挑戦する若者にとっての最大のチャンスである。この価値観はこの時に身にもって刻み込まれたものです。
変化は事業機会(Change=Chance)
インターネット事業を興すための会社(現RPAホールディングス)を起業したのは2000年の4月。ところが直前にITバブルが弾けて、資本市場は完全にクラッシュし、資金調達が思うようになりませんでした。一方、大企業がこぞってインターネットを活用した新規事業に取り組み始めた機会を捉え、インターネットを活用した新規事業に特化したコンサルティング会社として会社を大きく成長させることが出来ました。
しかし、2008年にリーマンショックという金融危機の影響でコンサルティングの仕事が急減、約4割のプロジェクトを失いました。会社生き残りのためにも、大きく会社の方向性を変える意思決定をしました。ホールディングス傘下の全ての事業会社は、リーマンショックという大きな時代の「変化」を機に生まれた事業です。現在グループの主力事業であるRPA事業も2008年に設立した「Biz Robo!」というサービスが源流となっています。
共同創業者であるRPAテクノロジーズ社長の大角が、工場の生産現場におけるファクトリーオートメーションロボットによる生産性革命に着想して、ホワイトカラーの職場における単純作業ロボットによる生産性革命を実現するサービスが「Biz Robo!」です。今でこそ「RPA」という言葉で市民権を得ましたが、当時はコンセプトが新し過ぎたせいもあり、しばらくは細々と実績を積み重ねる日々が続きました。
しかし、2012年に日本生命様がBiz Robo!を本格的に活用した事務センターの効率化に成功されました。さらに、ディープラーニング革命による第三次人工知能ブームと同期して、ホワイトカラー版ロボットの進化の概念であるRPA(Robotic Process Automation)という用語が、いわばバスワードのように広まったことでお客様企業での関心が一気に高まり、当社の事業も急拡大している状況となっています。
しかし、2008年にリーマンショックという金融危機の影響でコンサルティングの仕事が急減、約4割のプロジェクトを失いました。会社生き残りのためにも、大きく会社の方向性を変える意思決定をしました。ホールディングス傘下の全ての事業会社は、リーマンショックという大きな時代の「変化」を機に生まれた事業です。現在グループの主力事業であるRPA事業も2008年に設立した「Biz Robo!」というサービスが源流となっています。
共同創業者であるRPAテクノロジーズ社長の大角が、工場の生産現場におけるファクトリーオートメーションロボットによる生産性革命に着想して、ホワイトカラーの職場における単純作業ロボットによる生産性革命を実現するサービスが「Biz Robo!」です。今でこそ「RPA」という言葉で市民権を得ましたが、当時はコンセプトが新し過ぎたせいもあり、しばらくは細々と実績を積み重ねる日々が続きました。
しかし、2012年に日本生命様がBiz Robo!を本格的に活用した事務センターの効率化に成功されました。さらに、ディープラーニング革命による第三次人工知能ブームと同期して、ホワイトカラー版ロボットの進化の概念であるRPA(Robotic Process Automation)という用語が、いわばバスワードのように広まったことでお客様企業での関心が一気に高まり、当社の事業も急拡大している状況となっています。
変化は事業機会(Change=Chance)、創業以来大切にしている企業文化の根底にある考え方です。ダーウィンの「種の起源」の一説でもある、
・最も強い者が生き残るのではない
・最も賢い者が生き残るのではない
・唯一生き残るのは変化できる者である
は、絶対的に起こる環境変化と相対的価値の儚さを見事に言い当てた言葉です。弊社は創業以来、新規事業創造集団として、時代の変化を事業機会と捉えいろいろな事業化にチャレンジしてきました。革命的変化が起こる事が予想されている事業環境の中、RPAを活用した新規事業を創造し続けていくつもりです。
・最も強い者が生き残るのではない
・最も賢い者が生き残るのではない
・唯一生き残るのは変化できる者である
は、絶対的に起こる環境変化と相対的価値の儚さを見事に言い当てた言葉です。弊社は創業以来、新規事業創造集団として、時代の変化を事業機会と捉えいろいろな事業化にチャレンジしてきました。革命的変化が起こる事が予想されている事業環境の中、RPAを活用した新規事業を創造し続けていくつもりです。
将来の仕事はソリューションとエンターテイメント
30年前のパソコン、20年前のインターネット、10年前のスマートフォン、今では誰もが当たり前のように文房具として使っている道具が生産性革命を起こしたように、次の10年はロボットとAIの大衆化が進む10年で、誰もが当たり前のように使って仕事をする文房具のような存在になるでしょう。「ロボットやAIによって、多くの人が仕事を失う」と唱える人もいますが、歴史的に見れば常にテクノロジーは、より多くの雇用を創り出しています。テクノロジーが利便性の向上と低価格化をもたらし、それにより需要が大幅に拡大し、結果として新しいテクノロジーにより雇用が増えるのです。
「仕事」の定義を「課題の解決」とするなら、新しいテクノロジーによって変化するのは問題解決のやり方、つまり作業プロセスや作業そのものであって、解決する課題=仕事が代替される事はないはずです。例えば金融機関の「仕事」が「お金にまつわる課題を解決する」と定義すれば、もしかしたら銀行の窓口業務等の多くの作業はテクノロジーにより代替されるかもしれませんが、人の悩みの大部分が「お金にまつわる課題」であり続けるなら、金融機関の仕事がなくなる事は決してないのです。むしろ、コンピューターができる「作業」から解放され、人間は人間にしかできないより高度な「仕事=お客様のお金にまつわる課題の解決」に集中できるようになるのです。
では、人間にしかできない「仕事」とは何なのか?個人的には、人の課題を解決する仕事=ソリューションと、人を喜ばせる仕事=エンターテイメント。この2つに集約されると考えています。デジタル情報革命の大衆化が進んだ未来は、アプリケーション、ロボット、AIを文房具のように活用して、その場でソリューションやエンターテイメントを提供することが可能な時代になるでしょう。
日本では労働人口が減り続けていますが、この問題を解決する上でもRPAには大きな期待が寄せられています。弊社は業界のリーディングカンパニーとして、クライアントのRPA活用を支援するだけでなく、ロボットと人間が共存する新しい時代の新規事業を創造し続けることによって新しい時代を切り拓いて行きます。
ダーウィンの「適者生存」はビジネスの世界にも当てはまります。この時代の革命的変化を革命的事業機会と捉え、知恵とテクノロジーで新規事業を創造し続ける集団でありたいと思っています。
「仕事」の定義を「課題の解決」とするなら、新しいテクノロジーによって変化するのは問題解決のやり方、つまり作業プロセスや作業そのものであって、解決する課題=仕事が代替される事はないはずです。例えば金融機関の「仕事」が「お金にまつわる課題を解決する」と定義すれば、もしかしたら銀行の窓口業務等の多くの作業はテクノロジーにより代替されるかもしれませんが、人の悩みの大部分が「お金にまつわる課題」であり続けるなら、金融機関の仕事がなくなる事は決してないのです。むしろ、コンピューターができる「作業」から解放され、人間は人間にしかできないより高度な「仕事=お客様のお金にまつわる課題の解決」に集中できるようになるのです。
では、人間にしかできない「仕事」とは何なのか?個人的には、人の課題を解決する仕事=ソリューションと、人を喜ばせる仕事=エンターテイメント。この2つに集約されると考えています。デジタル情報革命の大衆化が進んだ未来は、アプリケーション、ロボット、AIを文房具のように活用して、その場でソリューションやエンターテイメントを提供することが可能な時代になるでしょう。
日本では労働人口が減り続けていますが、この問題を解決する上でもRPAには大きな期待が寄せられています。弊社は業界のリーディングカンパニーとして、クライアントのRPA活用を支援するだけでなく、ロボットと人間が共存する新しい時代の新規事業を創造し続けることによって新しい時代を切り拓いて行きます。
ダーウィンの「適者生存」はビジネスの世界にも当てはまります。この時代の革命的変化を革命的事業機会と捉え、知恵とテクノロジーで新規事業を創造し続ける集団でありたいと思っています。
Ledears ITEM
機械式時計を人生の節目毎に購入する時計愛好家-。この日身につけていたのはパテックフィリップのワールドタイム。「世界の主要都市の時刻」を知ることができる機能が付いた、ジェットセッターに人気のモデル。リーマンショックによる経営危機を乗り切った後の2009年、世界進出を決意したときに購入。
社長室に置かれていたのは永久カレンダーが搭載されたIWCのダ・ヴィンチ。起業した2000年に購入し、年頭挨拶など特別な日に愛用しているという。
掲載日:2018年10月31日
BUSINESS
事業内容
近年話題になっているキーワードがある「RPA (Robotic Process Automation)」。ロボットによる業務自動化のことである。従来、ロボットの導入といえば、ブルーカラー労働者の業務を代行するものとしての印象が強かった。産業用ロボットが人間に代わって工場の生産ラインで製品を組み立てる様子は当たり前になっている。一方、バックオフィスの業務は人間のみが対応可能だと思われていた。しかし、RPAはデジタル上の労働者「デジタルレイバー」としてホワイトカラー労働者のバックオフィス業務を代行すると言われている。日本ではいま国を挙げての働き方改革が進められている。
COMPANY
会社情報
所在地:東京都港区赤坂1-12-32 アークヒルズ・アーク森ビル13F
設立:2000年4月
代表者:代表取締役 高橋 知道
従業員数 :50名
資本金:530百万円
上場市場:マザーズ