後世が誇れる日本に。キャリア15年、若き経営者の挑戦

株式会社SYG

代表取締役 / 山本 泰大

昨年11月、新たなミッション『世界に誇れる、日本の「顔」をつくる。』を策定した株式会社SYG。同社を率いる代表取締役 山本泰大氏は、中学生でビジネスをスタート。高校生でリーマンショックを経験し、20代前半で事業変更を決断。時代と景気にもまれ、幾度の失敗を経験するものの、そのたびに立ち上がり続けた。そして、ようやく真に取り組みたい事業に出合ったと話す、山本氏が目指すミライとは―

PROFILE

代表プロフィール

中学校在学中にソフトウェアの受託開発を中心にした個人事業を開始。高校在学中に株式会社SYGを設立。早稲田大学政治経済学部卒。在学中から一貫して同社を経営。創業時はシステム受託会社からスタートし、新規事業立上げ、投融資を繰り返したことで、現在は「世界に誇れる、日本の顔をつくる」をミッションとした総合ベンチャー商社を志して、株式会社Vera、株式会社カスタムライフ、株式会社ロックビルなどを中心にグループ21社を抱えるホールディングス会社であるSYG社の代表取締役や関連企業の役員を務める。個人としても農業法人など異業種での社外役員を幾つか引き受けている。また、個人投資家としても活躍。ベンチャー企業投資やデリバティブ取引を盛んに行っている。

投資、受託開発、会社設立。ビジネスに明け暮れた少年時代

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―早速ですが、山本さんは小学生の頃に投資を始めたそうですね。

祖父が証券会社の社長だったこともあり、投資は身近でした。お年玉で初めて買った銘柄がストップ高を記録し、数万円が数倍になったのです。それをきっかけに、おもしろい世界だと感じるようになり、小学6年生の頃にはすでに四季報を読んでいました。

―その後のエピソードもユニークですよね。中学生でウェブの受託開発を始めた、と。その理由が投資に必要なお金を稼ぐためとは、ずいぶん変わった少年だったと思うのですが……

僕の通った学校は小中高一貫校のため、受験勉強をする必要が無いぶん他のことに打ち込むことができました。僕の場合、それが受託開発だったというか。投資をするにも原資が必要なので、そのために始めました。

プログラミングの知識は、パソコンに熱中するうちに自然と身に付きました。ちょうど携帯電話のパケット通信が使い放題に移行した時期で、あらゆる企業が「携帯用のウェブサイトが必要だ」と言い出しました。iPhoneが出たときの「アプリをつくらなきゃ」と同じ空気感です。当時、プログラミングの知識を持つ人は少なく、ニーズは途絶えることがありません。ピーク時には月商200万円を稼ぐようになっていました。

―時代背景もあるとはいえ、普通の中学生とは並外れた生活ですね。その後も稼いだお金を投資に回しながら、受託を続けていたのですよね。

そうです。その後、2006年に法人転換しました。僕が高2のときです。それが今の会社の前身です。

2006年と言えば、堀江貴文さんが時代の寵児として注目された、いわばIT勃興期のピークです。しかし、翌年から景気は下降し始め、2008年にはリーマンショックに見舞われます。僕の会社も大きな影響を受け、売り上げも8分の1にまで落ち込みました。それでも持ち堪えられたのだから、まだ良いほうです。独自性を持たず、他所のサービスを取り扱っていた企業から倒産したことを鮮明に覚えています。

その後、大学に進学し、自社サービスとしてSEO関連の口コミサイトを始めました。この事業はブームにのってグッと伸び、開設からしばらくして売却にいたりました。リーマンショックで散々な目に遭いましたが、これが事業を真剣に考える契機になりました。

5年で、年商35億円を達成。自己資本中心の会社に体制変更

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―資金調達のタイミングで新たに始めたのが、特許開発でしたね。

ええ。リーマンショックの経験から、景気に左右されずに売上を維持できる事業をしようと。ベンチャーキャピタル(VC)から5億円の出資を受けたこともあり3年間研究に専念し、2012年に『Synclogue(シンクローグ)』というアプリケーションの仮想化レイヤーサービスの特許を取得しました。それをライセンシングして利益を得ていたのですが、しばらくして独占契約の申し出があり、当社もそれを受けたことから、今度は会社の事業が無くなりました。

―エンジニアをはじめ、人はいる、資金もある状態です。山本さんが打った一手は何だったのでしょう。

「明日からは、広報活動もシステム構築もしなくていい。新たな事業をつくろう」と、全社員に呼びかけました。社員はもちろん驚いていましたが、幸いなことに誰一人辞めず、付いてきてくれたんですよね。女性向け情報サイト『Vera(ヴェラ)』は、このときに生まれたものです。

安定して利益を上げることを目的に、「ストック型ビジネス」「景気非敏感」のルールは徹底しました。むしろ、この二つさえ守ってくれれば何をやってもいい、やりたいことをやろうという姿勢で取り組み、2018年までの5年間で年間売上35億円を計上できるまでになりました。

―すさまじい成長を遂げたのですね。

ベンチャー企業としては成功したと思っています。さらにこのタイミングで、株の買い戻しも行いました。通常のベンチャーなら、ここでIPOしてVCの支援に報いるのが自然な流れというか、IPO自体を目指して頑張る経営者も多いと思うのですが、僕は不思議とそこに食指が動かなかったんですよね。買い戻しにより、当社株式のほぼ100%を僕が保有することになりました。そうなると、会社も舵切りが必要です。

―事業は順調に推移しているのに、軌道修正する必要があったということですか。

出資を受けているあいだ、僕は“外部株主に派遣された経営者”の感覚で働いていたんです。そのため、会社のミッションは、あくまでも株価の最大化。けれども、名実とも自分の会社になったので、そこにこだわる必要が無くなりました。これからは創業者である自分がやりたいことをしようと強く思い、それが当社の新しいミッション『世界に誇れる、日本の「顔」をつくる。』につながっています。

子世代、孫世代が「日本人でよかった」と思える礎を築きたい

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―『世界に誇れる、日本の「顔」をつくる。』このミッションに行きついた背景をお聞かせください。

旅行や仕事で海外に行くと、その国と日本を比較しませんか? 交通事情、衛生面、食べ物何でもよいのですが、そのたびに「日本っていいな、すごいな」って思うことが僕はとても多くて。これは、日本にオリジナリティがたくさんあるからだと思っています。たとえば、寿司、神戸牛、おもてなしの精神、企業ならトヨタというように、日本の代名詞になるものは瞬間的に浮かびます。その一方、僕の子世代、孫世代には、これらが失われているんじゃないかと思うこともよくあります。

農業を例に出すと、現在、平均就業年齢は70歳弱にものぼります。構造不況により儲からない産業に成り下がったため、なり手がおらず、引退できないことが要因です。このままだと日本の農業は30年足らずで崩壊すると言われています。おもてなしをとっても、近年、接客業に就くのは外国人ばかり。その精神は薄れつつあります。このように、日本の代名詞がどんどん減っている現状を僕は憂えており、会社の事業を通して貢献したいと考えるようになりました。

―具体的にどのような構想を描いているのでしょうか。

日本の持つオリジナリティに対し、当社が人的、資本的支援を行うことで、衰退しつつあるものは再生し、良いものはより磨きをかける、さらには新たに生み出す。これらによって社会に貢献し、日本が誇れるものを守りたいと考えていますし、創りたいとも考えています。投資会社ではなく事業会社なので、「顔」になることを前提に、投資先に対して事業が成功したら売却して利益を得るのを目的とするのではなく、原則として保有し続け、お金の提供だけではなく、戦略を担える人材やシステム開発力などの専門性も提供しつつ一緒に汗をかくことで、持ち分利益の最大化を目指します。

これらを通じて、ゴーイングコンサーンが実現できれば、数十年後には僕らが手がけた事業が日本の「顔」になっていることでしょう。将来的には、総合商社の一つに名を連ねることが当社の新しい形と思っています。

これは、僕個人のミッションでもあり、法人のミッションでもありますが、ようやく今、真に打ち込みたいことに出合えた思いです。

SYGには、リスクなく起業できる仕組みがある

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―受託開発にはじまり、特許ビジネス、新規事業、そして新たなミッションにいたるまで、さまざまな局面がありました。これらを乗り越えていくうえで、山本さんが大切にしてきたことをお聞かせください。

失敗から学び、立ち上がり続けることでしょうか。僕は何でも独断で進めるタイプなので、当時、VCのアドバイスにも「経営者でもないのに、好き勝手言わないでよ」と斜に構えて聞いていた結果、たくさん失敗してしまいました。
余談ですが、最近になってVCの方と話をした際、「今の山本に何を言っても聞く耳は持っていない。だけど、失敗したら言うことを聞くから、とりあえず多めにお金を渡そう」と当時は決めていたそうです(笑)。

100万円渡して100万円を溶かしたら手詰まりして終わってしまうから、500万円渡して5回トライさせよう。すると5、6回目には成功するだろうと。僕自身もこの考えを自らが実験台になって体得した経験が、会社の姿勢につながっていると感じます。

―御社のどの部分に生きているとお考えですか。

起業に対するスタンスを形づくりました。起業家が成功する可能性はごくわずかにもかかわらず、失敗すれば、借金、一家離散という大きなリスクがあり、文字通り、起業は命がけです。しかし、命をかけてまで起業したい人なんていません。

ですので、当社の起業は、「リスクを抱えず、納得の報酬を得て行う」というスタンス。当社は、事業を立ち上げたメンバーには利益配分を行っており、成功すれば1億円以上の年収すら狙えるように給与体系を設計しています。

加えて、起業は試行する回数、失敗する回数がすべてと経験値から感じているので、成功するまでお金を出し続けます。さらには、“起業っぽい”では意味がありません。当社は、人事権を含め、一切の裁量を渡しています。煩雑なバックオフィス業務も母体がフォローします。起業家の本分は、事業戦略の立案と実行です。これだけに注力できる環境を整備しています。

起業とは、人がすべて

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―社内で立ち上げた事業の成長性を見極め、伸ばしていくうえで、“投資家の目線”は必要不可欠です。その目利きのポイントとして、山本社長が大切にしていることをお聞かせください。

それは、人に尽きます。事業は短期間で移ろうため見極めは難しい一方、人の本質はさほど変わりません。VCが当社に5億円出資しながらも、「失敗しようが成功しようが、山本は野放しにさせる」というポリシーで見守ってくださったのは、僕という人物を見てくれたからこそ。僕も人を第一の投資の理由にしたいと思っています。

―では、人を見るポイントとして外せない要素はありますか。

数多ある成功事例のなかから、共通因子を引き出せる「要約力」は重視しています。いまのところ当社で活躍する社員の共通点は、学生時代に部活動やサークルで、キャプテンを経験していること。もまれた回数が多い人ほど、起業時にその経験が生きると考えています。

―いまの話にもつながりますが、最後に御社の求める人材像を教えてください。

まずは、「ロジカルに失敗できる人」。極論、1億円使ったことのない人に、1億円のビジネスは生み出せません。僕は、溶かした金額の3倍が人の稼ぎの限界と考えているので、成功するまでトライを促し、資金も投入し続けます。

しかし、成功を導くには失敗の理由を因数分解できる地頭が必要なので、学生時代に思考を磨いてきた人は大歓迎。失敗の数だけ学びを得られる人に来ていただきたいです。もう一つは、「果敢な人」。事業創出はロジカルな取り組みではありますが、ときに強引さも必要なので、臆せず取り組む姿勢は大切と考えます。

起業に対する強い想いのある人、実現したい目標のある人にこそ、当社のフィールドをぜひ活用していただきたいですね。

株式会社SYG 採用ページ
https://syginc.jp/recruit.html

Leaders Item

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著名な投資家として知られるバフェットだが、山本氏は「この本を読めば、彼が偉大なる経営者であることが分かる」と語る。「長期安定」「景気非敏感」「滞留資金の保有」といった、企業が永続的に生き抜くヒントを得られる学びの多い一冊。山本氏は社員にも精読を勧めている。
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BUSINESS

事業内容

○販売促進事業領域
○定期通販事業領域
○海外事業領域
○金融・経営コンサルティング事業領域

COMPANY

会社情報

所在地:東京都千代田区内神田2-15-9 The Kanda 282 6F・7F
設立:2006年9月
資本金:2億6,537万円(資本準備金除く)
WEB:https://syginc.jp/