メディアのあり方を変える、朝日新聞の新規事業 現状をポジティブに捉え、変容を許しながら前へと進む

朝日新聞社

構造が大きく変わり、従来のやり方ではユーザーがつかない、メディアにとって苦しい時代がやってきた。テレビやラジオなどは視聴・聴取率、雑誌は発行部数、販売・広告売上の低下を叫ぶ。聞こえてくるのは悲観的な声ばかりだ。新聞もそれと同等の状況に陥っている。しかし、朝日新聞は早い段階で手を打つために、メディアラボという組織を2013年に作った。現状を打開する策やメディアラボが展開する事業について、プロデューサーの荻沼雅美さんに話を聞いた。
メディアラボ プロデューサー 荻沼雅美さん
メディアラボ プロデューサー 荻沼雅美さん

従来型メディアの独占的立場は崩壊、「総メディア時代」に

インターネットの台頭、そう言われるようになってから長い時間が経過し、近年、その現象がより顕著になってきた。デバイス、個人間のコミュニケーションツールの発達によって、人それぞれが情報を発信するソースとなった。今や一億総メディアと言われる時代。移り変わりに伴って、従来の4マス(新聞・雑誌・テレビ・ラジオの総称)は存在感を失いつつある。

「インターネットは4マスの追加として現れたのではなく、構造を大きく変えたことが問題なのです。朝日新聞は独自の取材網を使い記事を作り、独自のチャネルによって日々、情報を安価で発信してきました。しかし、ベンチャー企業が新たに立ち上げたキュレーションメディアと呼ばれる、既存のメディアが生み出すあらゆる情報をふるいにかけ、ひとつにまとめるサービスに、ユーザーが集中するようになってしまった。つまり、情報を拾い上げて流通させる側が潤うという構造になっているのです。我々は相当なコストを重ね取材やチェックを行っているわけですから、システムが壊れた時にどうなるのかと言うと、読まれる記事の品質が落ちていくという事態に陥ってしまいます」

かつては買うものだった情報は、無料化の道を辿ろうとしている。独占的な立場を持っていた従来型メディアが提供する情報の価値は下がる一方だ。

新聞とオウンドメディアのコラボレーションが生む新しい可能性

朝日新聞社も、こうした状況に手をこまねいていたわけではない。その具体的な対応策の一つが今回紹介するメディアラボである。既成概念にとらわれない新しい商品やビジネスの開発を目指す実験室、自らの殻を突き破ることを目的とする組織として2013年に誕生した。

「前社長が『マネタイズは度外視でも良いから、寝ても覚めてもユーザーをアッと驚かせる新しい事業を生み出してほしい』と立ち上げたのがメディアラボです。当初は19人体制でスタートしました。START UP!という社内起業を促すコンテストの事務局となり、いくつもの事業を生む場となっているほか、ベンチャー企業とのコラボレーションも積極的に行っています。大企業はどうしても決断が遅かったり、新しい試みに消極的だったりしますが、ベンチャーはそうした縛りがありません。我々にないコンテンツや技術をもつベンチャー企業と組んで事業を組み立てたり、出資を行ったりし、朝日新聞社の中に新しい機能をインストールすることを試みています。また自然言語処理や人工知能といった最先端の研究を事業にどう生かしていくのかも探っています」


出資を受けた企業の一つが、サムライトというコンテンツマーケィングを手掛けるベンチャーだ。サムライトは「オウンドメディア」の支援を柱としている。オウンドメディアは、商品やサービス以外の、関連する話題やニュースも掲載することで、幅広い潜在顧客層の関心を集めるメディア。従来のメディア企業ではない企業が保有・運営する報道と広告の中間的な存在。ネットの世界では存在感を増しているが、朝日新聞社にはなかったものであり、これを取り込むというのは画期的な出来事だ。

「新聞への広告出稿は年々減ってきています。それで、どこに行っているのかを分析すると、その行先のひとつとしてベンチャー企業による新しいオウンドメディアだと分かり、それと新聞が組み合わされば新しい可能性、新しい売り方が見えてくるのではと考えました。しかも、2人の社員が取締役、執行役員として出向しているので、そこで太いパイプができます。将来、彼らが朝日新聞社の本体に戻ってきた時、向こうで学んできた色々なことがフィードバックされると思うのです」
クラウドファンディングサービス A-port
クラウドファンディングサービス A-port

クラウドファンディングサイトが解決メディアになる

ここからは事業の具体例を紹介していきたい。まずは「A-port」というクラウドファウンディングサービスについて。ご存じの方には釈迦に説法かもしれないが、まずクラウドファンディングそのものについて簡単に説明する。

製品を企画し、作り、販売する場合、多額な資金や製品化するためのシステムなどが必要になるため、企業単位で行われるのが普通だ。仮に自分が「こんな商品ができたら面白いんじゃないか!?」とひらめいて、試作品まで作ったとしても、商品化するには高い壁がある。クラウドファンディングはそうした個人(あるいは中小規模の企業)のアイデアや商品などに対し、一般の人がお返しを受ける代わりに数千円から数万円の支援をし、実現をサポートするというものだ。新しいお金の使い道として、数年前から日本国内でも話題になり、多種多様なサイトが出来上がっている。では、既存のものがあるのにも関わらずA-portを立ち上げられた理由とは何なのだろうか。

「クラウドファンディングサービスはすでに日本にもいくつか存在しているものの、あまり伸びていないのが現状です。その理由のひとつは発信力。
私たちは、起案者のストーリーを掘り起こし、プロジェクトの魅力などを新聞やハフィントン・ポストなどの関連媒体で発信しています。記事によって人々の興味を喚起し、プロジェクトを成功させるという循環が生み出すことができれば、様々な課題を解決できるメディアになると考えています。実際に記事掲載によって、協賛企業がついたり、他のメディアでの取材が増えるなどの効果も上がっています。」
新聞社ならではのノウハウを生かした自分史制作サービス
新聞社ならではのノウハウを生かした自分史制作サービス

一般の人の歴史を積み重ね、将来、民衆史を作ることを目指す

荻沼さん曰く「朝日新聞の役割とはただ新聞を発行するだけでなく、現代を毎日記録していくこと」。それが137年前からずっと続けられていることは非常に意義深いと言えるが、荻沼さんはそこに足りない大切なものがあると語る。最後に紹介する、人が生きてきた過程を一冊の本にまとめる「朝日自分史」という事業がそこを埋める役割を果たす。

「新聞は紙面に限りがあるので、どうしても著名な人にフォーカスした記事が多くなります。新聞に足りないのは一般の人に関する情報なのです。例えば、戦争体験の生々しい話や高度経済成長期に『モーレツサラリーマン』と呼ばれた人たちの話など。そういった日本の大きな事件や変化を直に体験した人の姿が無くなってしまう前に取り返したい。朝日自分史は生きた証を記したパーソナルなメディアなわけですが、積み重なれば、やがて民衆史が出来上がると考えているのです」

朝日自分史には、記者が取材を行うコース、本を作りたい人が原稿を持ち込むコース、朝日LIFESTORYというシステムを使用して自分で編集を行うコースの3つがある。「記者取材コースが最も売り」と言った上で、荻沼さんは次のように続ける。

「朝日自分史の取材を行うのは現役を引退したベテラン記者なのです。『まだ働きたい』と思っている記者が長年培ってきた取材力がありますし、シニアの方が多いお客様と話も合います。ベテラン記者たちが楽しそうに取材をし、お客様が喜んでいる姿を見ることができると嬉しいですよね」

荻沼さんは「メディアラボにはまだ、各事業に一貫したメッセージやコンセプトがあるわけではない。各担当者がやりたいことをとことん追求している」と言う。ただ長い間、守ってきた朝日新聞社の伝統や資源を生かしながら、時代の変化に応じて柔軟に変わっていこうとしている姿勢を感じる。朝日新聞は現状に対してネガティブにならずに、前進を続けていることが以上でわかってもらえるはずだ。


文:大隅祐輔  写真:田中郁衣

2016年8月30日

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