―会社が無くなっても自立できるビジネスマンを育てていくー急成長を遂げる通信ベンチャーの人材育成マネジメント

ライトグループ

通信サービス事業を中心とした、多岐にわたるさまざまなサービスを提供する大阪の通信企業「ライトグループ」の常務兼、グループ会社「株式会社C3」、「株式会社アクセスオンライン」の代表取締役社長、岩井英治の人生は決して順風満帆と言えるものではなかったよう。グループ総社員500名以上、年商200億の企業に導くまでには、過去に倒産を経験している。
「会社(仕事)が無くなっても自立できるビジネスマンを育てていく」
そう語る岩井社長の職業プロ意識はどのように醸成されたのか。一流の企業に育て上げ、新規事業立ち上げから社員のマネジメントなど、経営者になるまでの過去と未来のビジョンを聞いた。

学生時代は通学しながらも月150時間以上勤務

現在、急成長を遂げる通信ベンチャー企業の代表取締役社長として、世の中をより豊かにする様々なサービスを提供する岩井氏は、学生時代通学のかたわら、飲食店のマネージャーを務め、月150時間以上も働いていたという。

岩井氏:労働が及ぼす社会への影響力や、人の繋がりの大事さをアルバイトで勉強させてもらいました。学校では経験できないようなことを、実際に体験しながら学べたことは、今の自分にとっても大きい経験だったと思います。今後、社会人になる人は、学生時代から色々な世界の人と接点を多く持って欲しいですね。

記者コメント:学生時代からより社会と近い環境で過ごしたことが、今の岩井氏を形成する要素となっている。

取締役に繋がるキャリアビジョン

学生らしくない過酷な就業を経験後、現在のグループ会社に営業職として入社した岩井氏。時代は「就職氷河期」を迎えており、売り手市場となった今の学生には計り知れない苦労が当時はあったのだろう。入社後は、営業マンとして各所で目覚ましい活躍を見せ、若くして取締役に就任。一営業マンが取締役の座を掴んだその秘訣は何だったのだろうか。

岩井氏:グループ会社に入社時は、トップ営業マンのみで成り立つような企業でしたが、会社が転換期を迎え、チーム制度や責任者制度に取り組み始めたこともきっかけとなり、それまでの多岐に渡る経験則が認められ、取締役に就任しました。会社の成長期には変化の時が度々訪れますが、それを避けて通ろうとしたり、不安を感じたりする人が多いように思います。常に「変化=チャンス」と意識して過ごすことが、先に進む上で何より大切なことだと思います。

「変化=チャンス」という、逆境を楽しむマインドが取締役への近道だったのだろうか。

岩井氏:当時は会社に対して不満しかなかったですね。社員は皆忙しくて、自身の結婚式もできないような会社でした。
営業マン時代から、「必ず社内の制度や仕組みを変えてやる」という思いで取り組み、結果を出していたので、当時のオーナー社長からオファーをいただくことができました。
「結果を出せば見てくれる人は必ずいる」ということを、自分で証明できたと思っています。

誰も予想しなかった倒産という経験

岩井氏がライトグループの取締役に就任してからわずか3年、業界全体の不況により倒産。今だからこそ聞ける当時の話を詳しく聞いてみた。

岩井氏:社長や取締役全員が退職してしまい、続々と会社から立ち去る社員を見たときは恐ろしいという感情を抱きました。私は「まだやれる!」と営業目線で、倒産となったことを中々受け入れることができませんでしたね。当時は、何かのせいにしないとやっていけないほど必死で、会社や世の中、上司、退職した人のせいにしていましたが、倒産を通して「全て自己責任である」という、人生で最も大事なことを学んだようにも思います。
倒産後、グループ会社でまた一から現場に出て営業して、ひたすら受注を獲得していました。このまま悩んでいても前進しないと思い、営業することで初心に戻っていました。今となってはこの判断もベストだったなと思っています。

ひたすら営業するという当時の選択について聞くと、岩井氏は「過去なので特にありません」と一言。
やはり未来を見て前進し続ける人物は、過去を振り返らないようだ。

ライトグループ代表 諸石社長との出会い

思いがけぬ倒産を迎えた際に、「このままで良いですか?」と言い続けた現在のライトグループ代表 諸石社長が岩井氏の考え方を変えた。どん底にいた岩井氏の前に現れた諸石社長はどんな存在なのだろうか。

岩井氏:諸石は元々グループ役員として知っていましたし、仲もよかったです。ちなみに後輩なのですが、「会社が悪いからしょうがない」と愚痴を言っている私に対して「このままで良いですか?」と、気を遣いながら何度も問いかけてくれて、その言葉が私の考え方を変えてくれたと思います。今でも印象に残っていますね。
諸石のおかげで自分の欠点を理解できたので、グループ会社社長で、後輩でもある諸石の部下になって一からやり直したいと意思決定できたのだと思います。

後輩と先輩、社長と部下という特別な信頼関係を持つ二人。そんな二人のストーリーをもう少し深く聞いてみた。

岩井氏:諸石とは、グループ会議の宴会で一緒に盛り上げ役だったのが最初の出会いですね。
常にどこでも全体の楽しい空気を作る、まさにエンターテイナーでした。
現在も現状に甘んじることなく、常に向上心を持っている点は本当に尊敬できます。
そろそろ休憩しても良いのではと、本音は考えてしまいがちですが、ライトグループに関わる全ての人のために挑戦するというところは、他の経営者とは大きく違うところだと思うので尊敬しています。

代表取締役としてのマネジメントとは

諸石社長との出会いをきっかけに、ライト通信に入社。その後大阪を拠点とし、50名ほどの小規模な会社から急成長させ、今やライトグループの常務としてグループ全体を支える岩井氏。さらに「株式会社C3(以下C3)」というグループ会社を立ち上げた。常務だけでなく、代表取締役を務めるその極意と秘訣についても聞いた。

岩井氏:人に関わる事業を大事にしたいという思いから、「C3」を立ち上げました。未来を創るベンチャー企業や若者たちにチャンスを作っています。
「C3」の代表取締役として、自分目線にならないよう常にグループ全体目線を意識しています。投資事業、回収事業においても、冷静に感情を入れずに判断することが大事ですね。

目線は経営の上でも重要ですが、マネジメントの際にも同じことが言えます。誰でも、自分にメリットがあるときはマネジメントもしっかり担当しますが、自分のメリットのために人を動かそうとせず、相手目線で相手の困っていることを解決することを常に考えています。相手の力になれば、必ずいつか自社に利益で返してもらえると私は確信しています。

今後のビジョンについて

ここまで、現在の岩井氏を作り上げた過去について伺ってきたが、代表取締役として今後何を見て進んでいくのだろうか。時代が変化を遂げ、ニューノーマルとも称される今、何を思い、何を見て、時代を制していくのか。

岩井氏:働き方改革やコロナ問題など、ここ数年で世の中が大きく変わりつつあります。そんな環境下で、常に文化として持続していく手法と、変化対応型で状況判断することの双方からビジネスモデルを作ります。
今後一緒に働く社員にも伝えたいことですが、常に業界トップにならなければ存在価値はないと感じています。業界インパクトを持つためにも、トップを目指す企業でありたいと思います。

PROFILE

  • 岩井英治

    岩井英治 1972年生まれの千葉県出身。飲食店でのマネージャーなど、通学のかたわら月150時間以上もの勤務経験から仕事の楽しさを知る。1997年、現在のグループ会社に営業職として入社。
    グループ内での転勤など経て、取締役まで昇格。業界全体への波紋と会社の経営悪化より倒産を経験する。その後、現在のライトグループ代表の諸石社長に共鳴し、ライト通信への入社を決意。50名ほどの大阪のみ拠点とする会社から、東京での本社立ち上げ、現在ではグループ550名稼働、年商200億までの企業へ成長させた。

2021年3月29日

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