堅実な理念と着実な経営で世紀を超える企業へ。不動産業界のアクセラレーターが抱く理念【前編】

杉本 宏之氏は24歳で起業し、わずか4年で当時経営していたエスグラントコーポレーションを上場させた。しかし、リーマン・ショックにより、400億円の負債を抱え、民事再生を申請。その後、再び起業し、シーラホールディングスをグループ7社、売上高200億円を超えるまでに大きく成長させた。また、メイクス、ヘヤギメ、ファンタステクノロジーなど、不動産ベンチャーに投資をおこない、売上高100億円を超える企業に成長させた。更に投資先のうちGAテクノロジーズ、ツクルバなどが新規上場を果たしている。直近では、トラスティーパートナーズやネクサスエージェント、アクティスアセットマネジメント、ライフィットホームなど新興の不動産企業にも積極的に出資を行い各社の事業グロースに大きく貢献し、不動産業界のアクセラレーターとしても高名だ。
前編では、杉本氏と公私ともに親交が深い幻冬舎代表取締役社長の見城徹氏との対談を通じて、杉本氏の経営者や人としての魅力に迫る。

PROFILE

株式会社シーラホールディングス 取締役会長 杉本宏之

1977年、茨城県守谷市生まれ。2001年に株式会社エスグラントコーポレーションを設立。業界史上最短・最年少で株式上場を果たすも2008年のリーマン・ショックの影響を受け2009年に民事再生法の適用を申請。2010年株式会社SYホールディングス(現、株式会社シーラホールディングス)を創業。

株式会社幻冬舎 代表取締役社長 見城徹

1950年、静岡県清水市(現:静岡市清水区)生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1975年に角川書店に入社。小説誌『野性時代』の副編集長を務めた後、『月刊カドカワ』編集長に就任。様々な作家、芸能人、ミュージシャンと親交を持ち、販売部数を30倍に伸ばした。41歳で取締役編集部長の役職に就く。1993年、角川書店を退社し、幻冬舎を設立。数々のベストセラーを世に送り出している。

目次

「お客様の幸せがあればこそ、我々の幸せがある」ことが経営の大前提

――シーラホールディングスは設立から現在のグループ7社、売上高200億円と大きな成長を遂げられましたが、企業を動かす上での理念や指針などを教えて下さい。

杉本氏
自分の中ではそんなに大きく成長したとは思っていないのですが、以前の会社と比較すると亀さんのように一歩一歩着実に、足場を固めてやってきたつもりです。お客様の幸せがあればこそ、我々の幸せがあるということを大前提としています。
企業理念としては「安心と愛と感動で世紀を超えて永続する」を掲げています。いい不動産を提供してお客様に安心していただき、しっかりした経営で社員を安心させることが取引先への安心に繋がります。安心が愛情を育み、感動に繋がる。そういう企業こそが、世紀を超えて永続していくのではないかと考えています。

この理念のもとに10年間不動産を貯め続けて、家賃と管理で社員の給料が賄えるようになりました。安定した財務基盤があるからこそ、お客様のために何かを作るという経営判断もできます。
もう一つの経営理念として「自分たちが欲しいマンションを作る」という理念を掲げており、自分たちプロが欲しいと思えるマンションを作ることが、結果お客様の幸せに繋がると思います。
会社をやり直した時に、今度こそ自分たちがやりたいことをやって、お客様の幸せに繋がる仕事をやろう、と掲げた理念を守り通しています。

――杉本氏はアクセラレーターとしても高名ですが、経営や管理ノウハウの提供、支援において重要視していることがありましたらお聞かせ下さい。

杉本氏
我々の理念や行動指針に共鳴、共感してくれる会社に投資をしていくことです。今まで出資した会社は僕から投資させてくれと申し出たのではなく、スタートアップで起業した会社側から投資のご希望をいただき、出資に至りました。
我々の経営スタンスを理解したうえで来ていただいている時点で、その会社とは共通項がたくさんあります。まず理念に共鳴してくれることが大事だと思っています。
我々もこれまでに二十数社に対して投資をしているので、成功も失敗も経験して情報を蓄積しています。デベロッパーや不動産業であれば、仕入れにはお金が必要で、銀行からお金を借りるためには業績とエクイティファイナンスが必要です。ですので、このエクイティファイナンスを我々が提供します。

――人脈や金融ネットワークなどが閉鎖的とも言われる不動産業界で、杉本氏は本来解放されない情報などを開示して業界の活性化に貢献されていると言う声がありますが、そういったお考えをお持ちになったきっかけは何でしょう。

杉本氏
起業当時、銀行からは一切融資を受けられませんでした。そして、業界の人達は僕たちのような若くてもっともっと成長しようというベンチャーとは付き合わない風潮がありました。でも僕は、若手の起業家を味方につけたほうがいいと考え、彼らに積極的に出資をし、ノウハウを提供し、企業の成長に貢献するという、これまでの不動産業界の社長さんたちとは対照的な動き方をしました。
その結果、僕らは取引先も増えて、業界にイノベーションを起こす結果になったのだと思います。若手に出資することで自分たちも若手のノウハウを得られれば、Win-Winで成長していけるんです。

――シーラホールディングスは大きな成長を遂げられましたが、経営で力を入れていることやこだわりはありますか。

杉本氏
当社には、『中長期的に人を育てることは資産管理よりも重要である』という理念があります。
以前経営していた会社では、組織が大きくなりすぎて、社員と会話をする時間がなくなってしまったという反省がありました。
だから、今の会社は年に一回は全社員一人ずつとご飯を食べるんですよ。個人面談も年一回、全社員としています。
また、始業を9時半としていた時に「満員電車がつらい」と言う社員たちがいたので、10時半に変えました。様々な議論が噴出しましたが、結果的には、満員電車で通勤する社員がほぼ皆無になったこともあり、社員がいきいきと働くようになってくれました。

他にも会社から三駅以内に住めば住宅手当て、それから愛情手当てと言って社員の誕生月に役職に応じた手当てが出ます。これらはみんな社員からの要望を形にして取り入れただけで、僕が考えたのはひとつもないのですが(笑)。
建物管理をしている管理部門の社員でも、例えば賃貸管理で稼働率99%を達成したら全社員に毎月インセンティブがつきます。自分がとった仕事でインセンティブをもらい続けられるのは、社員としては安心に繋がるんです。会社はチームです。管理部門はサッカーで言えばディフェンダーで守ってばかりで大変だけど、ディフェンダーがいなくなったらチームが成り立ちません。全社員にインセンティブがつくという制度を作ってから、社員もよりモチベーションが上がったと思います。

幻冬舎代表取締役社長 見城徹氏が語る杉本宏之氏とは

――杉本氏は熱心な見城氏のファンで、お会いになるまでに熱烈なアプローチをされたと伺っておりますが、実際にお会いになってどのような印象をお持ちでしたか。

見城氏
行く先々の店で「SYホールディングスの杉本さんが見城さんの大ファンなんですよ」ってよく小耳に挟んでいましたが、ある日レストランで、石原慎太郎さんと電通の会長と僕と三人で食事をして個室から出ていったら、カウンターにいた彼が立ち上がったんです。そして面識がなかったのに、勝手に挨拶されて(笑)、それからですね、付き合いが始まったのは。あれから4年が経ちますが、彼は本当に誠実で、裏表があったり調子のいいことを言ったりしないので、今ではしょっちゅう会っています。

杉本氏
書かれた本を何冊も読んでテレビも見ていたので、お会いしたことがある気がしていましたが(笑)、それが初対面でした。2015年の11月ですね。今では、毎日のように話をさせていただき、すごく可愛がっていただいています。

見城氏
「可愛がっている」なんていうのは、彼の僕に対する配慮ある発言で、対等ないい関係だよね。協力しあっているというか、お互いにないところを埋め合っているというか。人付き合いというのは、年の違いはあっても人間として尊敬できるかどうかだと思っていますから。

――見城氏ご自身もさまざまなビジネスを手がけていらっしゃいますが、投資家としての杉本氏の強みというのはどのような点だと思われますか。

見城氏
勉強もしているし分析力もあるし、視野も広いですよ。投資というのは人間と人間の心のふれあいです。その心を彼は持っているということです。ですが一度、僕が絶対してはいけないと思うM&Aを彼がしようとしてたんですよ。今まで話していた彼の経営理念から外れると思ったんで、やめてくれと。強行するなら君とのつきあいを考えると言ったこともありました。

杉本氏
僕は父親を早く亡くして、この人を親代わりに指針にして生きていこうと思っていたので、その人がここまで言うならと思ってやめました。その企業を買収しなくても「不動産の家賃と管理で社員の給料を払う」という目標を達成できたので、結果的には正しかったと思います。見城さんとの絆もできたと思いますし。僕からみた見城徹という男は、入ってくる情報や話した人の反応を脳内ビッグデータで蓄積して、分析した上で「勘」という一言でまとめているんです。

――見城氏はかねてより困難に挑戦することがお好きだと伺っていますが、困難を経験されている杉本氏のお考えに共感される部分はございますか。

見城氏
経営方針や理念もありますが、本当に大切なのは経営者の人格がちゃんとしているか、そしてそれが会社に反映されているかどうかだと思っています。ひとつ言っておくけど、困難に挑戦することは好きじゃないですよ(笑)。ただ難しいことをやらなかったら、人と差はつかないじゃないですか。自分にとって一番困難なことを圧倒的努力でやり通せれば、鮮やかな結果を生み出すことができ、自分の価値が大きくなるんです。

――杉本氏が築いてきた人脈や金融ネットワークなどについて、見城氏から見たご意見をお聞かせいただけますか。

見城氏
彼という人間の力なんですよ。以前、僕を慕ってくれる大きな不動産会社の会長が、僕と杉本の関係を知って、それならこれまで杉本が取引できなかった金融機関に話をつけると言ってくれたことがあります。僕の力もあるけど、結局は杉本がその人との信頼関係を築いて来たことが僕の存在で花開いたということです。杉本が民事再生を経験し、お金もなく途方に暮れていた時、一緒に仕事をしたエレベーターメンテナンス会社の社長がいつ返してくれてもいいとお金を貸してくれたそうです。杉本は「生涯忘れない、どんなことがあっても恩返しをする」と言って、その社長に誠心誠意対応しています。仕事というのは小さなことの積み重ねで、一つ一つを大事にしなきゃいけないんです。

さっき話した「困難な選択」と同じで、ちゃんと付き合っている人からの頼みごとは、困難であればあるほど受けなきゃいけないと思います。小手先でできることをやったって感謝はしてもらえません。この人のためなら、と思ったことは死ぬ気でやります。彼もやってくれるから付き合えているんです。僕が20歳以上も年上ですが、杉本とは友達、親友として付き合っています。僕にそう思わせるほどに杉本という男は魅力的なんですよ。

杉本宏之氏が初めて語る、壮絶な体験から掴んだ信念と指針。
「たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣」

https://www.amazon.co.jp/dp/4594082629(2019年11月5日発売)

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