団地の活気を取り戻す。UR都市機構が佐藤可士和と描いた「団地の未来」とは?
少子高齢化や人口減少、あるいは昨今のコロナ禍のような社会情勢によって人々の住まいに対する考え方が変化する中、日本の高度成長期に数多く建てられた「団地」が転換期を迎えている。かつてニュータウンと呼ばれ、都市部のベッドタウンとして賑わった郊外型団地も徐々に老朽化。その団地を寂れた住空間にしないため、21世紀型の暮らしのニーズに応えながら新しい住人を呼び込むという、新たな価値の創造が求められている。
そんな中、全国で72万戸の団地を管理するUR都市機構が、2015年、「団地の未来プロジェクト」を発足。世界的建築家の隈研吾氏とクリエイティブディレクターの佐藤可士和氏を中心メンバーに据え、昭和40年代に建設された神奈川県横浜市の洋光台団地をモデルケースとして、さまざまな識者の声を聞きながら団地の未来を描くというユニークな取り組みだ。
今回は本プロジェクトでプロジェクトディレクターを担った佐藤氏と、UR都市機構の担当者である中川匠氏に、本プロジェクトを通してみえた「団地の未来」について話を伺った。
——洋光台団地では、中央団地、北団地、西団地で合わせて約3,200のUR賃貸住宅があります。2015年の「団地の未来プロジェクト」開始以来、2018年には中央団地の広場、昨年11月には北団地のリニューアルがされ、新たな団地像が徐々に形になりつつあります。そもそもUR都市機構はどんな課題意識の中で、隈さんや佐藤さんと一緒に本プロジェクトを始めようと思ったのでしょうか。
リニューアル後の洋光台 北団地の様子
中川氏
「やはり第一の課題は、団地が大量供給された時代から40年、50年という時間が経ち、これからの団地のあり方を真剣に考える時期が来ていたことでした。それに加えて、かつては子どもがたくさんいて活気があった団地も少子高齢化の時代で徐々に元気を失いつつあります。そうした現状に対して、クリエイティブの力によってこれまでにない団地再生の形が描けないだろうかと思い、佐藤さんたちに協力をお願いしました」
UR都市機構 中川匠 氏
——佐藤さんは数多くの企業のブランディングに携われていますが、本プロジェクトに携わる前は「団地」というものにどういう印象を持っていましたか。
佐藤氏
「僕は団地がたくさん作られた頃に幼稚園や小学校に通っていた世代なので、近所にピカピカの団地が建つところをリアルタイムで見ているんです。友達もそこに住んでいたから毎日のように遊びに行っていて、鬼ごっこをしたり、自転車で走り回ったり…。5階の友達の部屋に上がると、今までに見たことのない景色が広がっていたことを今でも覚えています。隈さんから「可士和さん、団地やらない?」って声をかけられた時はちょっと驚きましたけど、そんな風に、団地に対してカッコいいとか、新しいという記憶があったので、うまく進められそうな感触が最初からありましたね」
クリエイティブディレクター・佐藤可士和氏
——プロジェクト開始前には、隈さんと洋光台団地を視察されていますが、その時の印象を教えてください。
佐藤氏
「広場を見たり、住棟の高いところから団地全体を眺めたり、屋内の様子も見させてもらって、いろいろなところにポテンシャルを感じました。ただその反面で、団地ならではの良さがうまく活用されていないという印象も受けましたね。僕の記憶の中にある団地に比べると外に人がいなくて静かだなって。例えば、今回リニューアルした北団地エリアの広場にしても、かつては柵で囲まれていて、「ボール投げ禁止」という注意書きが貼ってあったりして、あれだけ広いスペースなのに近寄りづらい雰囲気がありました。屋外が全体的に活用されていないね、と隈さんと話したのを覚えています」
——本プロジェクトの全体コンセプトである「集まって住むパワー」が、うまく機能していないという印象からスタートしたんですね。
佐藤氏
「このプロジェクトに関わって知ったのですが、日本の団地のようにたくさんの人が集まって暮らしている集合住宅は世界的に見ても珍しいと聞きました。僕の中では集合住宅と言うよりひとつの町という印象。あれだけ多くの人が集まって暮らしているからこそ、ゆったりとした広場が持てたり、地域の防災力が上がったりすると思うんです。広場でイベントを行ったりしても、周囲にたくさんの人が暮らしていれば必然的に盛り上がるでしょうし。そういう団地がもともと持っている「集まって住むパワー」を再活性のコンセプトにしようと考えました」
——中川さんは「集まって住むパワー」というコンセプトにどんな印象を抱きましたか。
中川氏
「団地の魅力を「集まって住むパワー」というシンプルな言葉で表現していただき、佐藤さんから次々と斬新なアイデアをいただく中で、我々の中にあった団地に対する固定観念が崩れたような気がします。こちらの想像が追いつかないところもあったのですが、実際に北団地エリアのリニューアルを終えてみると、その言葉の意味をより実感することができました。例えば、団地内の豊かな屋外空間の中で本に触れながらゆっくりとした時間を過ごしていただく仕掛けとして、本とレジャーシートをバスケットに入れて本棚に並べた「団地のライブラリー」を団地のカフェなどに設置したのですが、実際に親子が団地内の広場でレジャーシートを敷いて、本を読みながらお菓子を食べていたりする光景をみると、集まって住むからこそ生まれる自然なコミュニケーションって、これからの時代に必要だなと思いました。
「団地のライブラリー」の様子。本のセレクトはブックディレクター・幅 允孝氏が監修。
また、地域の情報収集・発信拠点である「団地のCCラボ(まちまど)」の一角に子どもたちの作った温かみのある作品がたくさん並べられているのですが、様々な世代の作品や活動が新たな刺激やつながりを生み出すこともあるので、新しい空間の中で新しい団地のライフスタイルが生まれていることを実感しますね。
団地のCCラボに展示されている子どもたちの作品
——団地のポテンシャルという点でいうと、佐藤さんと隈さんは洋光台団地の良さを「ゆるさ」という言葉で表現されたと伺っています。
佐藤氏
「初めは全体がもっと規則正しい配置かと思っていましたが、現地を見ると住棟もその他の施設も割と自然な地形に沿った形で建っていて、そういう「ゆるさ」が面白いと感じました。僕はブランディングの際、対象となるブランドの佇まいや良いところを残したいと常に考えているので、今回の洋光台団地でもその「ゆるさ」を大切にしたいなと。北団地エリアの広場は特にそういう雰囲気を出したことで、大きなステージや藤棚のベンチなど、要素を詰め込み過ぎずにあえてゆったりとした造りにしています。ほかにも、昔プールがあった名残で住棟と広場の間にあった壁を取り外したんですが、壁一枚取り外すだけでも、そこに心地よい風が通って住棟と広場に自然と一体感が生まれたり。もともとあったものをあえて取り外すことで、「ゆるさ」が心地よさに変わるようなデザインを心掛けました」
「団地の広場」の様子(写真:太田拓実)
——「団地の未来プロジェクト」では、オープンイノベーションの発想で「TALKING」という場を設け、従来は街づくりに関わらないような識者の方々を交えながら、その様子をウェブ上で公開する取り組みもしてきましたね。
佐藤氏
「団地の再生という物凄く難しい課題だけに、僕と隈さんの二人だけで取り組むのではなく、もっと多彩な方々の意見も伺いたいと思っていました。そこで、今回のようなプロジェクトにはオープンイノベーションのような、みんなで知恵を出しアップデートしていくような共創型の方法が合っているだろうと思いました。元々URが「団地の未来プロジェクト」を立ち上げる前に社会学者の上野千鶴子先生他の方々を招いてアドバイザー会議を設けたのですが、そのやり方を受け継いで仕組み化したものが「TALKING」という手法でした。さまざまな専門家の方をお招きして、いろんな視点から意見をいただきましたが、すべてをきれいにまとめようという意識はなくて、話したことの中から今やれることをチョイスしていけば、自然とそれが形になっていくと考えながら進めてきました」
——そうした佐藤さんとの取り組みを通じて、UR都市機構の皆さんに最もメリットになった部分はどんなところでしょうか。
中川氏
「ずっと団地を作ってきた我々からすると、どうしても既存の物やルールにとらわれてしまうのですが、佐藤さんとミーティングを繰り返すうちに、その前提が本当に正しいのかを問い直すことができました。例えば、広場を囲んでいた柵にしてもプールの名残だった壁にしても、我々だったらあるのが当たり前として考えてしまうようなところを、そもそも普遍的に快適なのはどういうことか、そのために何を変えればいいのかなど、言葉やデザインを通じて理論的に教えていただけたと思います。そして、そのいただいた新しいアイディアを形として作り上げていくことが出来るのがUR都市機構の強みだということにも気づかされました」
——最後に、それぞれが思うこのプロジェクトに携わって感じた「団地の未来」を教えてください。
佐藤氏
「今回の「団地の未来プロジェクト」は、UR都市機構さんのプロジェクトですが、僕にとっては社会課題の解決にフォーカスを当ててきたところもあって、クリエイティブの力がそうしたところに貢献できる手応えを感じられたのは大きいです。このプロジェクトを通じて、さまざまな知識やアイディアがストックされたと思うので、今後、洋光台の事例が他の団地にも転用され、最終的に日本全国の団地が活性化される未来が来てくれたら嬉しいです」
中川氏
「今回、佐藤さんとお仕事をさせていただいて一番感じたことは、地域の空気が変わったということです。普遍的に気持ちのいい空間ができあがっていて、口コミで団地の外からも人が集まりはじめています。団地だからこそ叶う「集まって住むパワー」には、令和時代の新しい団地の未来を感じました。洋光台団地はその第一歩です。ここで満足するのではなく、これから試行錯誤を繰り返しながら、日本全国の団地の未来を明るいものにしていきたいと考えています」
PROFILE
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クリエイティブディレクター 佐藤可士和
1965年東京生。多摩美術大学卒。株式会社博報堂を経て2000年「SAMURAI」設立。
ブランド戦略のトータルプロデューサーとして、コンセプトの構築からコミュニケーション計画の設計、ビジュアル開発まで、強力なクリエイティビティによる一気通貫した仕事は、多方面より高い評価を得ている。今春、国立新美術館で開催された「佐藤可士和展」も好評を博した。
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独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)